ゴミの回収は江戸時代からあった、きちんと対応していたのかな?

あなたの町のゴミは何曜日ですか?どこに捨てるかきちんと決まっていますか?ゴミの日として、缶やビンの日として、資源ごみの回収日として様々な決まりがその地域にはあります。昔も今も変わらず不法投棄はあったので、きちんと法律や制度として決めていく必要がありました。

現在の日本のゴミ事情

家から出たゴミは、普通ゴミ・資源ごみ・容器包装・プラスチック・古紙・衣類などに分けられて、指定の日に指定された場所へもって行きます。何が入っているか外から見ても分かるように、透明・半透明の袋に入れます。

マンションなどの集合住宅では、24時間ゴミを捨てることができたり、鍵がかけられるところが多くなっています。カラスや鳥やネコなどに荒らされることがあるからです。

ごみ収集者などによって、埋立地に運ばれたり焼却して処分されることがほとんどです。もちろんリサイクルとして再利用することもありますが、それは最近のお話。昔の日本ではどのようにゴミを取り扱っていたのでしょうか。

日本では昔からゴミ問題に取り組まれている

かなり昔の縄文時代や弥生時代では、貝塚と呼ばれる場所などにゴミを捨てていました。奈良時代には称号としてゴミに関する者までいたくらいです。

農家などでは肥料としてし尿が使われていました、しかし田舎の農家ではまだ良いものの都市部では畑が少なく処理が不十分で衛生的にあまり良くなかったようです。
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江戸時代にはごみため場を作るように法令が出され、町が管理していました。生ゴミは肥料に、廃材は燃料にとリサイクルも行われていたようです。

江戸の町々から出るごみは、隅田川河口の指定されたごみ捨場に船で捨てられていましたが、町々はその仕事を請負人にまかせました。このことについて、幕府は町の意見を聞き、「右の舟賃は、町々へ、少しずつ懸り候」(「正宝事録」)として、ごみ取船の費用は町で負担するとしました。

出典:江戸期のごみ処理費用(芥取賃(あくたとりちん))

江戸時代の大きな街と言えば江戸ですが、人がたくさん集まる江戸は比較的綺麗だったとのこと。

江戸の町は、江戸中から紙クズや金物クズ、生ごみから落ち葉まであらゆる「クズ」が拾い集められ、クズ寄せ場で種類別に分別され、それぞれの専門業者がお金を払って引き取り、再生紙や新しい金物、堆肥になっていました。そのお陰で、江戸の町は、ごみの落ちていないきれいな町でした。

出典:「ごみ」のいま・むかし~江戸時代はエコロジーな町~

修理や再生の職人がいたりと、様々な人達がゴミをリサイクルに使い、副業としても人気があったようです。江戸幕府が永代島(えいたいじま)にゴミを埋めるようにとお達しを出したことから、ゴミを収集して運搬し、廃棄するという、今でのごみ収集車の役割と担っていたのが分かります。

もちろん埋めていくだけでは限界があるので、今後は燃やすという行為になっていったのですが健康被害やダイオキシン問題・公害など地球上規模でたくさんの問題になっていくのは少し先のお話です。