化粧は赤く塗ることから始まったのをご存知ですか

現在の化粧と言えば女性の専売特許と言われるくらい、世間では浸透しています。男性で化粧をする場合は、仕事柄やモデルや歌舞伎など一部の場合に限られています、コスプレや女装でもするのかもしれませんが・・・。しかし過去の日本では、男女共に化粧をし現在とはまるっきり異なった目的で化粧がされています。一体どんな目的だったのでしょうか。

日本で始めに化粧をしたのは埴輪

日本史を勉強していると、木でできた埴輪を見ることがあります。あの頃の文化が未だに崩れずに残っているのは驚きですよね。化粧の始まりは埴輪に施されたのが最初と言われています。

日本人の化粧のはじまりはいつだったのでしょう。現在確認されているのは、3世紀後半頃の古墳時代。身分の高い豪族のお墓の副葬品である「埴輪(はにわ)」に、赤い顔料で顔や身体に化粧を施したものが残されているのです。

出典:化粧のはじまり ポーラ文化研究所

古墳時代に埴輪に「赤色」の化粧が施されていました。なぜ赤色なのでしょうか、悪いものから身を守るという一種の魔除け的な意味合いがあったといわれています。他には一定の地位のものが、権力者に謝罪するときにも赤い土を塗って謝ったとも言い伝えがあり、謝罪・魔除け・従順など様々な意味があったのです。

今も昔も白が喜ばれる

肌が白いと嬉しいものですが、それは昔の人も同じでした。白粉(おしろい)が中国から伝わり、徐々に7世紀以降に日本国内で化粧の基礎が出来てきたのです。

江戸時代には浮世絵などで、化粧をする姿がはっきりと残されています。肌を白く塗り、唇には赤色を塗り、現在に近しい意味合いで塗られていました。昔の口紅などは、魔除けの意味合いで口に悪いものが入らないように塗られていたそうで、今の人が聞くと驚きます。

しかし昔の女性の肌は荒れて本当は綺麗ではありませんでした。というのも、24時間化粧をしているのもざらにあり、今のように便利な化粧落としも手に入らなかったからです。そうすると肌にダメージが残り、毛穴が汚れていきます。お風呂へ入る場合でも落とさずに、そのまま湯ぶねに浸かっていたくらいです。

黒も人気があった化粧

化粧の黒というと言い方がおかしいですが、お歯黒です。既婚女性の証としてお歯黒がされ、1人前の大人の証として用いられました。今では全く見なくなりました、イカスミパスタを食べたときくらいでしょうか。

黒と言えば眉毛も江戸時代では書かれていました。では何で眉毛をかいていたのでしょうか。

麦の穂が腐って黒くなったものを手で揉んで粉にしたものや、行灯(あんどん)などの灯火の油煙を眉墨にしていたんです。今ではホントに?と思うものですが、市販のものがない時代の知恵ですよね!

出典:便利なメーク品がない江戸時代、何で眉を描いていたの?

今では日本中どこにでも売られているメイク道具ですが、昔は簡単には手に入りませんでした。どうにかして黒でつけられるものを手に入れようと、昔の女性達は頑張っていました。今も昔も化粧は赤・白・黒、この3つのキーワードは共通で今後もずっと続くことでしょう。